苦労は気づきの欠片

先週、メディテーションの師匠であるDavid Nichtern氏が来ていました。時間がある時は何度もリテイクしています。今回は3日間通訳を頼まれましたが、仏教の哲学はとても難しく、さらに自分の勉強のレベルがいかにまだまだ薄いかを実感したのでした(ーー;

通訳は、英語で何を言っているのが理解をすることはもちろんだけど、最も大事なのはそれを訳した時の日本語の訳の方だと思います。日本語でその内容がある程度理解していないと、適切な言葉が探せないからです。言葉の深みが出ないから。

帰国子女なんかのバイリンガルも、本物はどちらかの言語でしっかり思考ができている人。英語で考えようか、日本語で考えようがどちらもいいのですが、しっかりひとつの言語が完璧になっていることが大切だったりします。すると、私は日本語が完璧な軸となる言語なので、日本語でしっかり訳せないということは、理解が浅いということになります。

とっさの言語変換スキルが不足していたり、内容の理解がまだまだ不足していたりと、お仕事そのものはいい仕事ができたか不明だけど(色々助けてくださった方、ありがとうございます!)、私にとっては、ひとつ気がついたことがありました。そして、それは、今後、起こるであろうことの暗示である気もしています。水面下で着実に進んでいるかもしれない人生の歩みを垣間みた気がしました。

大変なことやりきったり、苦労をしたりすることは、

気づきの欠片

なんじゃないかと思った日でした。気づきは、自分に自信をつけて強くしてくれるツール。ここから全てが始まりますから。
ってことで、出来なかった自分を激励し、出来た自分を褒めてあげて、今日はクローズ。
明日も頑張っていこう!!!

*写真は、一緒にマインドフルネス・メディテーションを学んでいるmindfullness beautiful ladiesです(笑。

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